プロ野球選手のその後 小松辰雄(中日)
小松 辰雄 中日ドラゴンズ
2007 / 08 / 10 ( Fri ) 06 : 56
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小松 辰雄について語りたいです。
石川県羽咋郡富来町(現志賀町)出身 178cm、82kg。右投げ右打ち 高校は星稜高等学校3度甲子園に出場している。1976年夏、1977年春、1977年夏。 町内の小学生が集まり記録を競う「陸上競技記録会」のソフトボール遠投にて90mを超える記録を残す。この記録は現在に至るまで破られていない。(ウィキペディアより) 小学生が90M???ありえないよ。。 小松辰雄の公式HP ![]() 1979年、プロ野球界は、初めてスピードガンを導入しました。 小松は、このスピードガンによって150キロを超える剛速球を投げていることがわかり「スピードガンの申し子」として有名になる。 小松が投げた最高球速は154キロ。当時まだ19歳であった。 因みに村田兆治は149キロだったようです。 これが小松=剛速球と言われてた由来である 背番号34で1982年(僕の中では黄金時代の中日)で最後のリーグ優勝を決めた。 それからしばらくして背番号20、そう中日ではエース番号と言われる番号を引き継ぐ。(前任者は星野で今は仲田が引き継いでいる)最優秀防御率、最多勝利、最多奪三振、沢村賞、ベストナインなどタイトルを獲得している。 まさに・・・中日のエースだったと言えます! 実際に名古屋球場で小松の投球練習を生で見たことがあるが、尋常でないスピードだった。 隣に都がいたと思うがスピードは桁外れで小松のほうが速かった。 ところが、1989年あたりに肩を故障して離脱してしまうが、日本シリーズの西武戦で復帰した。 そのときの小松の涙が中日スポーツの一面に載ったときは感動しました。 晩年は中日の兄貴として若手から慕われていた。 最後の引退試合は、子供の頃から小松のファンだったイチローと対決。 イチローは2塁打を打った。 因みに小松は現役のときは、 星野仙一の子分だったようだ(宇野もそうだったらしい) 1995年〜1997年 中日の投手コーチ。 1998年〜 CBC解説者、中日スポーツ評論家でもある。 その他、プロ野球を沸かせた選手の行方 プロ野球選手のその後:中山(元大洋) プロ野球選手のその後:新浦(元巨人→大洋) プロ野球選手のその後:藤王(元中日→日ハム) プロ野球選手のその後:近藤真市(中日) プロ野球選手のその後:伊良部秀輝(ロッテ→ヤンキース) プロ野球選手のその後:板東英二(中日→タレント) プロ野球選手のその後:江川卓(巨人→タレント) プロ野球選手のその後:遠藤(大洋→解説者) |
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